前回までのあらすじ
インドのデリーで謎のタクシーに捕まった僕は、その後通行人からの暴行を受けて、運転手の知り合いの旅行代理店の中に連れていかれた。
暗い室内で、ボスによる心理的な圧迫に屈してしまった僕は、1ヶ月の旅行分の電車賃をその暗い事務所で払うことになってしまう。
購入後、今からすぐに出発することを告げられ、外に出てみると、そこには、ゆうに100kgは超えているであろう、巨漢の男が車の前に立っていた。
巨漢の運転手とのロングトリップ-広大なるインド-

車が出てから、何時間くらい経ったのだろうか。
太陽は、すでに東の空から上っていて、朝の冷たい空気は消えて、徐々に車内の気温も上ってきている。
車は、永遠に続く一本道を、ただ真っ直ぐ走っている。
時折、前のトラックが遅すぎるため、クラクションを鳴らしては、後ろから反対車線に入って追い抜いていった。
車がハンドルを切るタイミングといえば、そのくらいで、あとは本当にただ真っ直ぐに走り続けていた。
辺りは、荒野というか砂漠に近く、木らしきものもほとんど生えておらず、地面は乾燥していた。
僕は、このときおそらく人生で初めて、地平線というものを見たが、全く感動はなかった。
この時の僕の頭の中は、後悔の2文字でいっぱいになっていた。
なんでお金を払ってしまったんだろう。
いや、でも断っていたらどうなっていたか分からない。
反省すべきは、その前だ。
なんで空港からあのタクシーに乗ってしまったのか。
そして、これから先、この無口な隣の大男とどうやって3日間やっていけばいいのか、僕には皆目見当もつかなかった。
タクシーに乗り込む前、男と握手をした。

初めまして。タクシー運転手の〇〇だ。
これから3日間よろしくな。

よろしく。

今から君をまずジャイプールという都市に連れていく。
が、その前にいくつか遺跡を回って、そこに辿り着く。
プランはこんな感じだがいいか?

いいよ。
それだけ言って、僕らは車に乗り、出発した。
乗ってしばらくしてからは、あのお決まりの個人的質問コーナーの始まりだ。
どこから来たのか?日本のどこだ?何歳だ?地元はどこだ?東京のどこに住んでるんだ?とか色々だ。
それが一通り話終わると、男は黙ってしまった。特に普段から話さないタイプなのだろう。
そこから、長い長い沈黙があった。
途中で、僕はうとうとして、目的に着くまで寝てしまおうと思い、目を閉じた。
そうすると、運転手がいきなり、僕の足を叩いてきた。

おい。寝るな。夜眠れなくなるぞ。

え?なんで?眠いんだけど。

いや、ダメだ。夜寝るんだ。昼間は起きてた方がいい。

(いや、そんなこと言っても、起きてても何もねえじゃん!!!)
(しかも、お前何も喋んねえじゃん!!ガチ暇じゃん!!どうすりゃいいんだよ!!)
そう思ったが、まあいいやと思って起きていた。
「車内でタバコは吸っていい」と言われたので、僕はひたすらタバコを吸って時間を潰した(今はやめたが、当時吸っていた。)。
人生で1番肺に悪い時間だった。
その日は、ジャイプールに着くまでに2つくらい遺跡によった。
どれも退屈だった。
夕方くらいにジャイプールに着いた。延々車に揺られてやっと着いた。
ホテルは用意してあったので、運転手がホテルの前で泊めて、中に入ったが、ホテルがこれがまた微妙だった。
おそらくインドであれだけのお金を払ったら、もっとかなりマシなホテルに泊まれたと思う。
でも、そのホテルはめちゃくちゃ微妙だった。
一応ゲストハウス、ではなくホテルなのだが、特にこれといって、いいなと思うポイントが1つもない。
本当にただの田舎の寂れた小さなホテルって感じだった。おそらく自分で選択できるのであれば、僕は選ばなかっただろう。
部屋に着くと、更にボッタクられた感が襲ってきた。
電車代もおそらくぼったくられているが、ホテル代までかなりぼったくられている。
僕は何だか悲しくなってきた。
その日の夕飯は、タクシー運転手がインド料理のレストランに連れていった。
しかし、料理のメニューを見て僕は思った。

(高え。日本で食うのと全く変わんねえ。)
レストラン自体は、外国人の観光客もいて、なかなか良かったし、料理もまあまあ美味かったが、にしても高い。
それに加えて、運転手は、僕と一緒にご飯は食べなかった。
彼は、1人でどこかにいって、自分で別のものを食べていた。
彼は、おそらくお店側から、紹介料という形でお金をもらっており、客を連れてくれさえすれば、お金がもらえるのだろう。
おそらくこれから先、3日間くらいは、僕は食事する店を選ぶことも、宿を選ぶことも出来ないということをここで察した。
自由が欲しくて、ひとり旅に来ているのに、何だかめちゃくちゃ不自由で、ストレスの溜まる旅だった。
次の日は、ジャイプール市を観光して巡った。
タクシー付きだったので、旅自体は結構楽だったのだが、たまに街で歩いている旅行者を見ると、何だか羨ましかった。
ジャイプールは、今でも巡ったところを思い出すことができる。僕が見た街の中でもなかなか綺麗な街だった。それだけは覚えている。
市内が山に囲われたような作りになっていて、山の方まで登ると、市内を一望することができる。
昔、王城がこの山の高いところにあったため、今ではこの付近が観光名所になっているんだとか。
僕は、確か1番高いところまでいって街を一望したが、本当にとても綺麗だった。

街というものの境界線がくっきりとしていて、円形になった都市部の外は、荒野が広がっていた。
街は綺麗だったが、僕の気持ちは街を見ていても、重たかった。
そして、これから後2日くらいで、どれくらい金を絞り取られるのか、考えただけで、少し億劫になった。
その次の日は、早朝からジャイプールを出発し、いよいよタージマハルのある都市アグラーに向かった。
これまた、行きと同様にずうっと同じような風景の道を、永遠と車で走っていった。
そして、運転手は、またもや僕を眠らせてくれなかった。心底意味が分からなかった。
アグラーに着いた時には、すでに夕方くらいだったと思う。
街に着くと、すぐにレストランに連れて行かれ(ここも相変わらず高かった)、夕食を食べた。
味はごく普通のマトンカレーだった。
その後、部屋に帰ってシャワーを浴び、ゆっくりしていると、ドアをコンコンとノックする音が聞こえた。

おう。ビールを酒屋で買ってきたんだ。飲まないか?
「あれ?インドって酒オッケーだったのか」と思いながら、この旅でまだビールを飲んでいなかったことに気づいた僕は、彼からの誘いを承諾した。
屋上で飲もうと言われたので、屋上に2人で上っていった。
彼は、紙袋から「KING FISHER」と書かれた、青い鳥がトレードマークのビール瓶を持ってきて、瓶の蓋を歯で豪快に開けた。
自分がやったら、口から血出そうだな。。
と思いながら、2人で乾杯した。


明日は、遂にタージマハルだな。
キミに、最高の旅をお届けするために、朝の日が登る前に、タージマハルに連れていく。
寺院は世界中から観光客が来ていて、朝から混んでいる。
でも、朝が1番空いてるから、その時間に行くのが1番いい。

おっけ。今日は早く寝るよ。

それがいい。
ああ、ところで、なんで俺が今日屋上にキミを連れてきたか分かるか?

ん?なんで?

後ろを見てみろよ。
僕は今見ていた方向の反対側を向いた。別に何もない。

おいおい。よく見てみろ。
後ろの奥におっきい丸いのが見えるだろう。
あれが、タージマハルだよ。
目を凝らして見てみると、確かに言われてみれば、タージマハルだが、でも別に感動はなかった。
本当に少ししか見えない。
僕は、無理矢理に感動している感じを出して、

おお!あれが!タージマハル?すごいね!
と言ったら、彼はしたり顔でウインクしてきた。
僕は、よく友達から「他人に興味ないよね」とか「え、リアクションうっす」とか言われることが多い。
異国になると、意外と下手な芝居でも誤魔化せるもんだなと、この時少し学んだ。
そして次の日の朝は、タージマハルに行った。
朝日が上ってくるタイミングで見える、タージマハルはとにかく神秘的だった。
写真で見るよりも、幾分ピンク色に光が当たっていて、とても綺麗だったが、日がさらに上ってくると、いつもの色のタージマハルに戻った。
場内のシンメトリーさ。洗練された1つ1つの石材。壁に施されたレタリング。
どれをとっても、心奪われるものばかりだった。
この時は、流石にインドに来た甲斐があったなと思ったものである。
タージから出ると、運転手が車を出して待っていた。

どうだ。綺麗だったろう。

うん。2種類のタージマハルを見れた感じだったよ。
ありがとう。
その時点では、タージマハルを見た感動もあってか、朝早くからタージマハルを見せてくれた彼に感謝していた。
ただ、少しでもこんな気持ちを持ったことを僕は後悔することになる。

よし、それじゃあ朝ごはんを食べて、いくつかこの街の見どころを回って、もう夜にはキミは電車に乗ってバイバイだ。それまで楽しい旅にしよう。
束縛からの解放とチップ事件

その日も、相変わらず彼のプラン通りに旅は進んでいった。
朝ご飯を食べ、観光名所に行き、昼ごはんを食べ、ガラス細工の職人さんを訪ね、インド式マッサージ屋さんに行き、最後の夕飯を食べるべくレストランに入った。
ガラス細工の職人さんを訪ねた時も、お土産屋さんで、日本語が喋れる男が、何か買わせてぼったくろうとしてきた。本当に呆れた。まあこの話はいい。
ようやく束縛が終わりに近づいてきて、僕は安堵していた。
もうすぐコイツらとおさらば出来る。やっと自分の旅が出来る。
ずっとそう思っていた。
最後の夕飯を食べるべく、小さめの食堂に入り、いつも通りそこそこするご飯を食べる終わると、いつもは食事場所に現れない運転手が、急に僕の目の前の席にきて座った。
そして、ヒンドゥー語で周りの人に何か言うと、周り店員が全員お店の外へ出ていったではないか。
僕は、その瞬間にまた嫌な予感を感じ取った。
僕は、コイツが今から何を言い出そうとしているのかが分かっていた。金だ。
そして、僕の前に座ったその運転手は、次の瞬間、こう言った。

さてと。これまでの旅、お疲れ様だったな。
どうだった?デリーからここまで楽しめたか?

う、うん。

そうか、俺としては、お客さんが楽しんでくれて嬉しい限りだ。
観光に携わっていて、お客さんに感謝してもらうことが1番嬉しいことだからな。

・・・

それで、と言ってはなんだが、車内でも言ったように、俺には家族がいる。嫁と子供ば3人だ。
俺はファミリーを大事にしているし、ご飯を食べさせてあげなくちゃいけない。覚えているな?

うん。覚えてる。

インドで何回か食事をしてわかったと思うが、この国にはチップの文化がある。
俺はキミを3日間、色々と連れて回ってきた。
その対価としてチップを俺に払う必要がある。
この時、はっきりと覚えているのが、彼は、チップを「もしよければ、払ってくれないか?」ではなく、「払ってくれ」と言った。
願望ではない。これは明らかに要求だった。
やばい。またとんでもない額を言われそうだ。
僕は心臓の鼓動が一気に早くなるのを感じた。

おー。なるほど。。
でも、僕もうそんなにお金持ってないんだ。
君たちにチケットを払って、もう全然残ってない。
これからの旅だって、結構カツカツで過ごさなきゃいけないんだ。

(半笑いで)おいおい。ここまできて、そんなことを言うのか?俺はキミを三日間も運転して観光させただろう?それはあまりにもリスペクトが無いんじゃないか?
まあ、確かにそう言われればそうとも言えるが、物理的に無理なものは仕方ないではないか。払いたくても払えるわけがない。

いや、ほんとごめんだけど、そんなには払えない。いくらなんだ?

そうだな。。(電卓を取り出して)だいたいこのくらいか。
提示されたのは、20,000ルピー。日本円にして約3万円だった。
アホか。無理に決まってる。

いや。ガチで無理だ。本当に。この金額はマジで無理だ。頼む。

おいおい。3日間だぜ?!ビールも買ってあげて、タージマハルまで見させてあげたのはどこの誰だよ?これくらいもらって当然だろう?
僕としては、なんとしても引くわけにはいかなかった。
すでに手持ちのお金は確かこの時点で、9万円とかだったと思う。
あと1ヶ月弱、10万円切った額で旅行しなくてはならなくなった。
やばい。ここでは押されると、僕の生存が危うくなってくる。
何度か、こんな感じの押し問答を続けていくと、向こうが少し譲歩した。

いや、わかったよ。そしたら、半分の10,000ルピーでいい。これでどうだ?正直これ以上はこちらとしても譲歩できないな。
1万5千円。いや、まだ無理だ。

ちょっとマジで無理だ。ごめん。いや払いたい気持ちは山々なんだけど、本当に払えないんだ。

おいおい。勘弁してくれよ。
そんな会話を何度か続けた。
向こうも、この金額以下には絶対にしたくないような雰囲気があった。
おそらく10分くらい断り続けたと思う。

よし。分かった。
そしたら6,500ルピーで勘弁してあげよう。
もうこれ以上は下げないからな。
6,500ルピー、1万円か。
インド人と値切りをしたことのある人なら分かると思うが、彼らは本当にしつこい。
彼らは、最初信じられないくらい高い額を言ってから、値切りを延々と続ける。
そして、一定のラインまでいくと押し黙る。
交渉巧者の、いわば、値切り民族なのだ。
僕は、この時も、めちゃくちゃ悩んだ。
この条件を呑んでも、この後の旅は相当キツくなることが明白だった。
それと同時にとにかく早く解放されたい気持ちも強かった。
もう僕はこのインド人たちに呆れていた。
もう分かったよ。これを払えば幸せなんだろう。そうやってずっと日本人を騙して金を搾取し続ける人生を過ごせばいい。
そんな気持ちになった。

もう分かった。いいよ。それで。
僕がぶっきらぼうに言うと、ため息をつきながら

オーケー。じゃあこれでいいさ。
キミの僕への気持ちがどんなものかよく分かったよ。
はあ。まったく。これじゃあ家族に申し訳が立たないな。。
とかブツブツ言いながら、僕が出した6,500ルピーを受け取った。
これほど嫌なお金を払ったのは生まれて初めてだった。嫌味を言われながら、金を払うのだ。
なぜ俺はこんな奴に金を払っているんだろう。
そうこうしている間に、駅まで行かなければいけない時間になった。
チップの交渉が終わると、彼は、予約してある電車のチケットを全て僕に確認させ、渡した。
正直なところ、この時までに何回も、このままこの運転手の元から逃げて、駅まで行って、違う街まで行ってしまおうと考えた。
ただ、僕は、最初に10万円くらいで買ったチケットをまだ渡されていなかったのだ。
チケットを持っていれば、いつでも逃げて行くことができたが、それが無い以上どうしようもなかった。
運転手が預かっていて、最後の最後まで僕に渡さなかったのは、おそらく僕が逃げないようにするためだろう。
ものすごく腹が立った。本当に。ものすごく。
そして、車に乗り込んで、駅まで向かった。
僕は、これから先の旅に絶望しながら車に揺られていた。
本当に自分は旅を続けられるだろうか。
この金額だともたないんじゃなかろうか。
そんなことを考えていた。
すると、隣の運転手が、

どうした、元気がないな。今何を考えているんだ。
何を考えている?は?お前のせいだろ馬鹿野郎と、胸ぐら掴んでやりたかったが、グッと堪えた。

これからのことだよ。

そうか。これからのことか。
これから先は、俺はついていけないからな。
今までは、俺がいるから手を出してこなかった奴らも、これからはキミに危害を与えてくるはずだ。
特にブッタガヤ、バラナシではそういう奴らにいっぱい会うだろう。
彼らの話を聞いてはいけない。
無視するんだ。聞いたら最後だ。
まるで、その悪い奴に自分は入っていないとでも言いたげな口調で、諭してきた。
ムカついた。死ぬほどムカついた。
隣にいる運転手以上に、自分にもムカついていた。
僕は、なんでこんなに貧しい旅を強いられているのだろう。
車の外を眺めていると、情けなさと悔しさと不安で、泣きそうになった。
そして、駅についた。
アグラの駅は、日本の駅に比べて遥かに薄暗く、たくさんのインド人で溢れていた。
チケット売り場には、人が溢れていて、全員喧嘩しているみたいに怒鳴って何か言っていた。カオスだった。

じゃあ、俺はここまでだ。ここまでありがとうな。
さっき言った忠告を守って旅をするんだぞ。

うん。ありがとう。
最後に軽くハグをして別れた。
俺はお前を、いやお前たちにされたことを一生忘れない。
人を騙す・脅すってことの愚かさを俺は一生忘れないからな。
去っていく彼の後ろ姿を、刃物で突き刺すような鋭い目で何秒間も睨み続けた。
視線に気づいた彼が、振り返って手を振ってきた。
僕は振り返さずに、駅の中へ入っていった。
④へ続く。
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