前回のあらすじ
デリーでボッタクられた僕は、そのままタクシーに乗って、ジャイプール、アグラーと、運転手と一緒に回っていった。
巨漢の運転手は、アグラーで僕を置いていく前に、僕にチップを求めてきた。
電車のチケットでぼったくられていた僕は、残り8万円ほどで、1ヶ月弱インドを旅しなければならなかったため、非常に渋りつつも、1万円を彼に支払った。
残金が7万円となった僕は、貧乏生活を余儀なくされ、ここからどうしようか考えながら、アグラーから寝台列車に乗り込む。
[memo title=”前回までの話が気になる方はこちらから”]
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ど田舎カジュラホ-本当の旅の始まり-

日本人が、インドという国をイメージすると、1年中暑くてインド人は全員半袖を着ているイメージがあるかもしれない。
しかし、2月の北インドは、夜になると少し肌寒い。
半袖を着ているインド人よりも、シャツやパーカー、革ジャンを着ているインド人の方が多かったし、駅で地べたに寝ながら電車を待っている人は、みんなブランケットを被っていた。
日本でいう5月の1週目くらいな気温を想像してもらうといいかもしれない。
僕もその時は、「インドだからどうせ暑いだろう」と思って、半ズボンしか持ってきておらず、下は半ズボン、上は半袖にパーカーを1枚着ているだけだった。
電車は、朝8時くらいにカジュラホに到着する寝台列車だった。
カジュラホは、かなりの田舎町で、非常にのどかなインドの農村風景が楽しめるということで人気の町だった。
朝になり、到着してから駅の外に出ると、何十人ものインド人たちが、駅の入り口で観光客を待ち構えていた。

「うちのゲストハウスに来なよ!とりあえず見てみな!」
「え?あっちの方がいいって?あそこのゲストハウスは、ウチと近いから1回こっちきてから判断しなよ!」
僕と同じような旅人を宿泊させるべく、ゲストハウスのスタッフたちの勧誘がエゲツない。
僕は、初日に騙されので、かなりインド人に対して警戒していた。
電車の中で「地球の歩き方」を読み込んで、カジュラホの情報をしっかり読み込んで、どの宿にするかあらかじめ、大まかに決めていた。
その中でも、そこそこ安かった「Yogi Lodge」というゲストハウスの車を探すと、すぐに目についたので、そのまま乗った。
これまでの旅と比べると信じられないくらいスムーズだった。
今回の旅は序盤から騙されて自信を失っていた節があったが、これからは、ちゃんと旅が出来そうだぞという気持ちになった。
ゲストハウスは、屋上もあって、食堂もあって、スタッフは優しくて、のんびりするにはぴったりの宿だった。
この宿では、日本人よりは、ヨーロッパの人が圧倒的に多く、フランス人やイタリア人の旅行者と挨拶を交わした。
カジュラホは、本当に何もない街で、町外れに数カ所寺院があるだけの、本当に静かな田舎町だった。
僕は、これからを考えると、ご飯を食べるお金もなかったので、近くの食料品店で、バナナとパンを購入し、永遠とそれを食べ続けた。
最初の日に少しだけ観光したが、別に寺院以外もなく、お金もカツカツだったので、それ以外の日は、ずっとゲストハウスの中にいた。
ゲストハウスの構造がとても解放的で、部屋の中に日光はちゃんと入ってきたし、屋上にもすぐ行けたため、外に出なくても閉塞感を感じることはほとんど無かった。
時には、旅人から食事を恵んでもらったりした。
僕がお金が無いということを話すと、みんな優しくしてくれた。
この時ほど、人の暖かさに触れたことはない。慈悲の心。
カジュラホには、5日間くらい滞在したが、毎日1日中のんびりしていたこと以外に思い出せることは特に無い。
めちゃくちゃ暇だった。でも、それもそれで楽しかった。
ここで学んだことは、人の優しさも、もちろんそうだが、時間をゆっくり過ごすことの重要性だ。
膨大な時間を自由に使えるということは、意外にも最高の幸せなのかもしれないと、この時に思ったりした。
カジュラホから沐浴の街バラナシへ

カジュラホの次に向かったのは、バラナシ。
バラナシは、間違いなく僕のインドの旅でターニングポイントになった都市だった。
だから、この街の話は、少し長くなる。
ここで、ある人に会ったことが、よくも悪くも、僕の2週間のニート生活を確定させたのである。
ヴァラナシは、インドの旅で必ずといっていいほど、旅行者のスケジュールに組み込まれる。
ヒンドゥー教徒が毎朝必ず行う、「沐浴」が見られることで有名なインドでも有数の観光名所だ。
街の中心部は、ガンジス川に面していて、朝になると、皆ガンジス川の中へ入っていって身体を洗い清める。
カジュラホを夜に出発して、バラナシに着いたのは、お昼くらいだった。
インドの電車あるあるかもしれないが、途中で電車が止まってしまったため、駅から2キロほど歩いて駅に到着した。
到着すると、これまたすぐにサイクリクシャーやリクシャーの運転手が、僕の元に群がってきた。


※リクシャー・サイクリクシャーは、バラナシでの主な交通手段。タクシーは少なく、この2つがタクシーの代わりを果たしている。

ハイ!コンニチハ!ドコマデイクノ?
ワタシイイホテルシッテルヨ!
こんなことを言って近づいてくる連中が、ざっと20人くらいいる。
その群れを通り抜けても、また同じくらいの人数のリクシャー運転手が近寄ってくる。
うっとおしいので、僕は、ずっと無視し続けて、このまま歩いて市街まで行こうとしたが、調べたら徒歩で30分もあるらしい。
流石に、どれかに捕まるしかないのかこれは・・・
そう思って、運転手たちと話して、1番安いのは誰か決めさせた。
みんなの言い値に対して半分くらいの値段を言うと、それじゃあダメだとか、俺はその値段でも乗せるとか言ってくる。
まるでオークションの司会になった気分だった。
話がまとまった運転手に乗って、なんとなく目星を付けたゲストハウスまで連れていってもらおうとしたが、いざ乗ってみると、運転手が断固言うことを聞かない。
いや、そのゲストハウスはダメだ。汚くて狭いぞ。俺が紹介する宿の方が絶対イイ。宿も日本人が運営してるし、最高だよ。

いや、そのゲストハウスはダメだ。汚くて狭いぞ。
俺が紹介する宿の方が絶対に良い。
日本人が運営してるし、最高だよ。
またか、どうせコミッションが目当てなんだろうと思いつつ、断っていたが、向こうは、断固として折れない。

俺は、日本人を何人も連れていってるし、むしろ感謝されてるくらいだ。
言うことを聞いといて、間違いはないと思うけどな。
仕方ないので、ホテルを確認させてくれと伝えて、「地球の歩き方」でそのホテルの値段と評価を確認してみた。
すると、まあ悪くはない評価だし、値段もそれほど高いわけではない。

分かった。もうそこでいいよ。
ため息混じりに同意すると、彼は喜んでリクシャーにエンジンをかけた。
「この旅でインド人の値切りや勧誘に勝ったことがないな」と自己嫌悪に浸っていたが、着いてみると、なかなかいいゲストハウスだった。
自分で選んだ訳ではないが、写真で見て目星をつけていたゲストハウスより比較的綺麗だし、スタッフも優しい。
経営している旦那さんの奥さんが日本人らしく、最上階の食堂に行くと、優しく迎えてくれた。
また、街の中心部からは若干離れているものの、ガンジス川まで徒歩で3分くらいで歩いていける立地の良さも気に入った。
「まあ、ここならいいか」と思い、宿をここに決めて、リクシャーの運転手に礼を言った。
伝説のお土産屋さん?-心優しきインド人「ムケさん」との出会い-

その日は、まだ日没まで時間があったので、川沿いを街の中心部まで歩いてみることにした。
川沿いの道は、石やレンガのブロックで舗装されていて、沐浴が出来るように、川に向かって階段を降りていけるような作りになっていた(この川沿いの道のことを『ガート』という)。

しばらく歩いて行くと、川岸でインド人のお爺さんと、僕くらいの歳の日本人が4人で話しているところを通りかかった。
僕が横を通りかかると、何やら値段交渉をしているようだった。
すると、その日本人の中の1人が、

あ!空港で会いましたよね!ちょっと来てくださーい!
と声をかけてきた。

ん?空港?
思い返してみると、そういえば、初日に空港で朝まで寝ようとした時に、彼らを見かけた気もした。あまり覚えていなかったが。
呼ばれたので、僕も事情がよく分からないまま、加わってみた。
話は、どうやら「岸の反対側まで小舟を出して、連れていってやる!」とお爺さんに話しかけられたらしい。
そこで、彼らが立ち止まって話を聞いてみると、とんでもない額をふっかけてきたため、絶賛ブチギレ値切り交渉中ということだった。

こいつらすぐボッタクってくるからな。
ホントこえーわ。
俺らデリーから来てツアー組まされたんだよ。

(ぬ?!仲間だこいつら!!)
僕はこの旅で初めてぼったくられ仲間が見つかって、めちゃくちゃ興奮した。

え!!マジ!!俺もぼったくられたんだよ!!

あーやっぱりか。
この旅で出会ったデリーから来た日本人全員ぼったくられてるなあ。
ぼったくられてない方がレアだよ。

(そうだったのか。なんだ、俺だけじゃないのか。)
そう思うと、急になんだか安心してきた。
カジュラホで会ったヨーロッパ人は、そんな話はして無かったので、やはり僕だけかと思っていた。
しかし、被害者が他にもいるという事実に僕は異様な安堵感を覚えた。
それと同時に、日本人旅行者がインドでいかに舐められているかを改めて知った。
それから彼らと仲良くなり、その日は行動を共にすることにした。
複数人でインド人に向かっていった方が、値切りの際も、冷静になれるし、何より安全だからだ。
仲良くなった彼らと街を歩いていると、途中で流暢な日本語で話しかけてくるインド人に出くわした。

ねえねえ!ちょっとちょっと!どこ行くのー?
ちょっとチャイ飲んでかない?
あまりの日本語の流暢さに僕たちは一層警戒した。
みんなインド人に騙された被害者だったので、手口はだいたい分かっていた。
ただ、みんな一緒だったので、「まあしつこいし、少し話してみるか」みたいなノリで、そのインド人と話をしてみた。
会話は、主にAくんが担当した。

日本語うまいな!お前!どこで勉強したの?

オレの彼女、ここでナンパした日本人だから。
ここにいて旅行者と喋ってたら、だいたい喋れるようになるよ。
それで、みんな何しようとしてるの?

いや、実はさ、日本円をルピーに換金したいんだよね。
その時は、彼がお金を換金する場所を探すべく、みんなで街をうろうろしていたのだった。
僕は、「本当のことを言って大丈夫だろうか?」と思った。

ああ。そこの換金所行った?

行った。でもレートめっちゃ悪いんだもん。

まあ、あそこは全然良くないね。
そしたら、ウチで換金してあげるよ。
ウチならそこの換金所より良いレートで換金できるよ。
怪しい。めっちゃ怪しい。
僕たちの中からは、「おい!もう行こうよ!信じたら絶対やばいよ笑」と言う声も上がった。
しかし、Aくんは、

いや、ワンチャン本当に替えてくれるかもしれないじゃん。
レートとか換金で誤魔化そうとしたら、みんなでケチつければ良いし。
最悪こいつらぶっ飛ばそうぜ。
Aくんは、キックボクシングを割とガチでやっていて、「カモられたからインド人ボコしたい」とずっと言っていた。血の気が荒かった。

おーあなた怖いこと言うね。
でも、絶対ぶっ飛ばされないからキミら連れてくよ。
ついてきて。
彼に付いていって、連れて行かれたのは、これまた薄暗い入り口の前で、奥に入っていくと、そこは、お土産屋さんだった。
広さは約6畳くらいで、お土産が置いてある棚と、大人が6人座れるくらいのスペースしか無く、かなり狭かった。
謎のインド人は、僕らをお店に入れると、ヒンドゥー語で誰かを呼んだ。
すると、奥から背が小さくて、身体の細いインド人が出てきた。

何?呼んだ?ああ、お客さんね。
君たち若いねどうせ学生でしょ。
※写真があったら載せたかった。残念。
全員で「そうだ」と答えた。
そして、また連れてきた謎の男が、小さいインド人に何かヒンドゥー語で伝えた。

ああ。換金したいの?どの子?
(Aくんが手を挙げる)

君ね。いくら換金したいの?今やってきてあげるよ。

えー。渡すの?
持ってかれちゃうかもしれないじゃん。やだよ。

いや。逃げないよ。
私ここで日本人に結構有名な人だよ?
ネットで検索してもすぐ出てくるよ。
ああ。名前言い忘れてたね、私の名前はムケ。
ここのオーナーだよ。
ムケさん。この人が僕のインド旅のキーマンだった。
Aくんは渋々ながらも、ムケさんを信じてお金を渡すと、しっかりとレートを確認させて、すぐに店を出た。

いやこれ割と、怖いことしてるな・・・
と、僕は思っていた。
まだ会って数秒しか経ってないインド人に、まとまったお金を渡して換金させに行っているのだ。
しかし、ムケさんには、何故かこの人は信用できるかもしれないという雰囲気みたいなモノを感じた。
結果的に、その心配は杞憂に終わった。
ムケさんは1分くらいで帰ってきて、Aくんにしっかりレート通りのお金を渡した。
実際、バラナシのどの換金所よりも高いレートで交換できていた。
ムケさんのお土産屋さんの店内には、これまで店に来た日本人の写真が何枚も貼ってあって、メッセージが書いてあるものも見せてくれた。

やっと信じてくれたね?
せっかく来てくれたし、ここで、お土産買ってよ。
お金まだあるでしょ。

いや、それがみんなデリーでボッタクられて、全然お金ないんですよ。

あーじゃあみんなデリーから来たんだ笑
デリーから来る子みんなボラれてるから、もう恒例行事だよ。
みんなどうせ「地球の迷い方」でも読んで、騙されちゃったんでしょ。ハハハ笑
ムケさんは、日本人は「地球の歩き方」を持っていても、みんなニューデリー駅で騙されて正しく辿り着かないから、「地球の迷い方」って呼んでるだそう。

それで、みんないくらボラれたの君たち。
僕がチケット見て査定してあげるよ。
まず1人ずつここまで、どんな旅をして来たのかを語っていった。
皆の話を聞くと、だいたいニューデリー駅までは辿り着くのだが、駅で絶対インド人に捕まって、チケット買わされて、予定組まれて、、という感じだった。
僕の番が来て、僕がニューデリー駅まで辿り着かなかったという話をしたら、さすがにみんなに笑われた。
いや、あれは乗らないでしょ。ガイドブックに地下鉄朝からやってるって書いてあるじゃん。なんでそのインド人信じたの。とか色々。

「いや、あれは乗らないでしょ!!」
「ガイドブックに地下鉄朝からやってるって書いてあるじゃん!!」
「なんでそのインド人信じたの?!」

(いやいや、ゆーてお前らもボラれとるけどな!!!)
と思いつつ、次はいくら払ったのかの話になった。
そして、僕は正直に10万円払ってしまったことを伝えると、ムケさんとお付きのインド人に大爆笑された。

あはは笑 キミなかなか酷いねww
それは数ヶ月に1回聞くレアケースだよ。
でも騙され方が騙され方だから仕方ないね。
払ってなかったら、今頃監禁されて、昔のケイオウの子みたいに行方不明だったかもね。
払ってよかったんじゃない。死ななくて良かったよ笑
にしても酷いねえ笑
何がアハハだと思ったが、同時に笑い飛ばしてくれてなんだかスッキリした。
僕がここまでボラれた理由の1つは、僕が1ヶ月という長期のスパンで旅行を考えていたということもある。
他の皆は、2週間くらいのプランだったから、それに応じて金額も少なかったが、僕の場合は期間が彼らの倍だったので、単純に金額も倍だった。
それから、チケットの確認タイムだ。
チケットを見れば、だいたい幾らボラれたか正確に分かるらしい。
皆たまたまチケットを持っていたので、チケットを順番に見せて回った。
彼らは、3~6万円くらいの範囲でボラれていた。
学生からしたら、結構な大金だったため、皆んな悔しがったし、盛り上がった。
そして僕が、チケットを見せて、しばらくムケさんが眺めてから、こういった。

あーだいたい全部で2万円くらいだと思うよ。
高めのレストランで食事代も払ってるし、タクシーの運転手に払わなくていいチップ払ってるから、合計12万円くらいじゃない?

え、、あのチップ払わなくていいの?

うん。なんで払ったの?笑
あんなの払わなくていいんだよ。
もともとキミが払った金額からお金もらってるんだから笑
僕は、さらに惨めで、悲しい気持ちになった。
何が「家族を食わせてやらなきゃいけない」だ。
めちゃくちゃ嘘つきじゃねえか。
チケット査定が終わると、ムケさんは、自分の話をしてくれた。
どうやらムケさんは、子供の頃に沢木耕太郎原作の「深夜特急」のドラマ版に、子役で出演したことがあるらしい。
「深夜特急」といえば、バックパッカーにとってのバイブルで、日本人の旅人なら知らない人はいないくらい有名な本である。
それから、日本語を勉強して、お店を開いて、今に至るらしい。

だから、日本語めっちゃペラペラだよ。
もう何十年もこのお店やってるからね。
ネットで検索すると、僕のこといっぱい出てくるよ。
(※実際「バラナシ ムケさん」で調べると、結構出てくるので、知りたい方はどうぞ。)
そのあとは、ムケさんのお店でしばらくバラナシのことについて、これからの旅の日程について、みんなで話をしていた。
その場にいた日本人の学生たちは、バラナシを出発する日程がみんな一緒だったので、残り3日間くらいみんなで行動できることになった。
デリーへ戻る-希望を胸に-

それから、2日間くらいは、彼らとバラナシを観光した。
主にガート付近でぶらついたり、火葬場に行って人が焼かれるのを見たり、夜のお祭りを見たりした。
初日以来ムケさんのお店は、僕たちの溜まり場みたいになっていて、毎日ムケさんのお店で集まってダラダラしながら話をした。
ムケさんが権力者だからか知らないが、チャイと交換できる「チャイチップ」なるモノをお店に保管していて、それを使ってよくチャイをご馳走してくれた。

チャイ飲む?今日は、タダで飲ませてあげるよ。
キミたちうるさいから、睡眠薬混ぜて眠らせて、その隙にお金取るけどね笑
そして、2日目の午後くらいに、ムケさんのお土産屋さんで、友達と話をしていた時のことだった。
その時、ムケさんと僕でこんな話になった。

それで、君ホントに旅続けるの?お金大丈夫なの?

いや、全然ない。あとだいたい5万円くらいかな?(4万だった気もする。記憶が曖昧。)

それで、あと2週間ちょっと旅行するのね。。全然お金使えないね。
確かに、その時点で、僕の旅行日程は、まだ半分もいっていなくて、残り2週間と数日あった。
電車賃は、全て予約してあるので、心配ないが、それ以外にもホテル代や、食事代、さらに観光するとなれば、もっとお金はかかる。
滞在するだけなら、割と余裕だ。しかし、観光をするとなると、話が別だった。

ホテル代が含まれてるなら、まだいいけどね。
キミの場合、電車のチケットだけだからね。
多分この先かなり厳しいと思うよ。
観光ほとんど出来ないよ。

うん。まあ確かに。
そして、ムケさんは、少し考えてからこう言った。

うーん。
可能性は薄いけど、デリーの大使館に戻って、話したらお金戻ってくるかもしれないよ。
昔だけど、1回キミみたいにボラれた人が、ここからデリーに戻って大使館行って、警察繋いだら、お金戻ってきたことあったよ。
?!?!
え!お金が戻ってくる?!そんなことが可能ならば、一刻も早く返してもらいたい。

え?それホントに?ホントに行ったら返ってくるの?

いや、そこまではっきりとは言えないよ笑
なにせ10年くらい前のことだったからね。
でも、可能性はある程度あるって話ね。
多分10パーセントくらい笑
10パーセントか、、僕はめちゃくちゃ迷った。
でも、可能性があるなら賭けてみたい気持ちも大きかった。
確かに、ムケさんの言うように、これから先、旅行をしていったとしても、僕は楽しめる自信が無かった。
その時も、毎日電卓でお金を計算しては、節約して旅を続けていて、すごく精神的に辛かったのだ。

でも、旅楽しめないのに、旅行することほど辛いことはないからね。
それなら、もしダメでもデリーで安い宿泊まった方が、ちゃんと生活出来るし、安心だと思うよ。
なるほど確かに彼の言うことも一理あるなと思った。
ただ、デリーに行くことを決めてしまうと、払った電車賃のほとんどを無駄にすることになる。
僕は、考え、迷った。
そして迷った末に、答えを出した。

じゃー俺、デリー戻るよ。
ムケさんの言う通り、その方がいい気がする。
可能性に賭けてみるよ。
そう、ムケさんに伝えると、

そしたら、明日友達がデリーに帰るタイミングで行けたらいいよね。
今デリー行きのチケット予約したら間に合うかも。
そう言って、すぐにチケットを手配してくれた。もちろん正規料金で。
こうして、僕は、最初に予約した電車のチケットを全て無駄にして、デリーに向かうことになった。
次の日の夜が出発だったが、みんな時間が被っていたので、またもやムケさんのお店でたむろっていた。
僕以外のみんなは、明日か明後日が最終日でデリーに戻って、日本に帰るだけの予定だったから、最後にお世話になったムケさんの店でお土産を少し買った。
すると、ムケさんに、こう言われた。

キミも最後だし、お土産買ったらどう?
散々チャイ飲ませてあげたでしょ?チケットも取ったし笑

いや、、ごめん笑。マジで買えないんだ俺、、、
流石に親切にしてもらったから、僕的にはここでお土産を買いたかった。
でも今後のためにもお金をここで使うわけにはいかなかった。

ジョークだよ!!真面目だねキミは笑
キミに買わせる訳ないでしょ?
でも、もしお金が戻って来たら、またここに来て、お土産買ってってね。
うん。そうする。
そうムケさんに約束して、最後にみんなで写真を撮って、ムケさんにお礼を言って、お店を後にして、僕たちはバラナシを出発した。
必ずお金を取り返して、返ってくるぞ。
そう、胸に決めて、僕はデリーに向かった。
※上は当時のインスタ。意気込んでいる。
⑤へ続く。