こんにちは、岡本優河(@yuga_th119)です。

現在はWebライターとして、Webメディアでの記事執筆などを主な仕事として活動しています。

このページでは、自分がどういう人間でどういう人生を歩んできたのかについてご紹介していきます。

【1997年】群馬県伊勢崎市に生まれる

生まれた場所は群馬県。

ご存知の通り都道府県魅力度ランキングでも毎年最下位争いを繰り広げているくらい何にもない県で、しばしば「グンマー」と揶揄されています。

中でも僕が生まれた伊勢崎市は群馬県の中では都市部の方なのですが、本当に特徴のない街で、工場と畑とちょっとした市街地で形成されています。

1997年がどんな年だったかというと、ポケモンの放送開始され、X JAPANの解散し、ダイアナ妃が亡くなり香港がイギリスから返還され、京都議定書の採択が行われ、ワールドカップにサッカー日本代表が初出場決定した年らしいです。

幼少期は親が共働きだったので、基本的にニラ農家を営んでいた祖父と祖母にのびのび育てられた記憶があります。

小学校時代

小学校時代は、普通に活発な男の子だったと思います。

小学校低学年の時に兄が空手をやっていた影響で空手を始めたのですが、楽しくなかったので、ある日テレビを見ていた時に中継でやっていた野球を見て「なんか楽しそうだ!」と思って野球を始めました。

もともと運動神経が良くないので、最初は野球もこれまた楽しくなかったのですが、バッティングはやっているうちに上手になってきたので次第に楽しくなりました。

勉強は本当に普通でしたね。親が結構厳しくて、兄があまり頭が良くなかったので、親は次男である僕に非常に僕に強く勉強を強いてきました。

深夜まで毎日ドリルをやったり、逃げ出すと怒られたりした影響で親が死ぬほど嫌いになり小学校5年生の時に「将来は東京の大学に行って、一刻も早く親と決別するぞ!」と心に決めました。

中学校時代

中学校時代は引き続き野球を続けつつ、勉強も相変わらずまあそこそこでした。

中学校と言えば、反抗期なのですが特に親に反抗した覚えはありません。

もうなんか「この人達には何を言っても無駄だなあ」と諦めていた感があります。

僕は順位が絶妙に微妙だったので、母はあまり満足していなげでした。

僕は怒られないようにそれなりの成績をキープしつつ、なんとなく勉強していました。ああ早く家出たいと思いながら。

この親への反骨心が今の僕の全てを作り上げているような気がします。

高校時代

高校時代は、人生の中でも大きな挫折をしました。

高校は部活動を優先して自分の実力よりも若干落として、市内の普通高校を選びました。偏差値は50くらいとなかなか低かったですね。

なぜその高校にしたかというと、なんとなく野球が強くて校則も緩そうだったからです。

当時僕が住んでいた伊勢崎市からは甲子園に出た高校が皆無で、野球が強い高校はありませんでした。

しかし僕が中3の時に県予選で群馬県屈指の強豪私立である健大高崎を、伊勢崎市の無名の高校が破ったことに感銘を受けて、そこに進学することにしたのです。

高校はランクを落として入ったところだったので、成績は常に上位でした。

ただ僕は野球でレギュラーを取ることが目標だったので、どちらかというと野球を真剣にやっていました。

でも実際入ってみたら、当然自分より上手い人がたくさんいるんですよ。

それで「たくさん練習をして追いつこう」「頑張ろう」と思って、とにかく全練習サボらずに全力で取り組みました。

これだけは自分に嘘をつかずに言えることです。

しかし結果として野球はあまり上手くはならず、レギュラーを取ることは出来ませんでした。

この時に学んだことは「努力は平気で人を裏切る」ということです。

上はダルビッシュ先生の「努力」というモノの性質を見事に表した素晴らしいツイートなのですが、まさにその通りですよね。

高校野球を通してただガムシャラに練習しても、頭を使って努力をしないと何の意味も無いのだと理解しました。

これは人生で1番の挫折でしたね。

「このままでは、何の結果も出ないまま高校生活終わってしまう!」

何か自分の努力が報われる瞬間を味わいたい、そう思って推薦でも行けたところを全て蹴って受験勉強に取り組みました。

「それなりの結果が出なかったらもう死んでやる!」

そう思って1日12時間くらい勉強して、何とか受かったのが今の学校です。

僕の高校は頭がそれほど良くなかったので、合格発表を担任に伝えたら職員室が湧いたのを覚えています。みんな本当におめでとうと言ってくれました。

間違いなく僕が人生で1番頑張った経験で、成果が出て僕も嬉しかったですし、みんな喜んでくれました。

大学生時代

さあここでようやく晴れて夢だった東京の大学生です。

夢だった一人暮らし、夢だったキャンパスライフ、夢だった授業後の新宿

全部楽しいはずでした。でも現実はそうじゃなかった。

大学生1年生の時は「大学生活楽しむぞ!」と思って、学内でまあまあ強い野球サークルに入ったのですが、これが楽しくなかったです。

サークルなのに、上下関係はめちゃくちゃ厳しいし、サークル休むと怒られるし、飲み会はめちゃめちゃ多いし(出ないと怒られる)・・・。

バイト行って、サークル行って、飲み会行っての繰り返しでした。

まあ普通の大学生なのかもしれませんが。

でもそういった生活をしていて、「あれ?何しに東京来たんだっけ?」と思うようになりました。

そもそも親から逃げて自由になるために、東京の大学に来たのですが僕にとってそれが「ゴール」だったのです。

ゴールの設定を修正しないと、マジで4年間棒に振る!

そう思って僕は2年生からスタートアップでインターンを始めます。

人生観ごと変わったベンチャーでのインターン

ベンチャー企業で働いた経験は、僕の人生の中でも非常に貴重なものになりました。

3社ほど経験させて頂いたのですが、どの企業でもみんな何かギラギラしているというか、仕事をする上での目標やミッションを持って働いている人が多くて、とてもかっこよかったです。

特に3社目の会社はまだ創業2年目で、どんどん人が増えていくタイミングでした。

MTGでも事業内容のコンセプトから考えたり、社長に提案したらすぐに意思決定が反映されるスピード感があったり、働いている人はみんな魅力的に見えました。

何か1つのビジョンや目的に向かって毎日仕事をする姿は、僕にとって「働くこと」に対するイメージを180°変えてくれた大事な経験でもありました。

働く年が近いのにみんな死ぬほど経験豊富で、自分の弱さや戦闘力の低さを思い知りました。

同時に僕はとても悔しい気持ちにもなっていました。

みんなと同じように毎日働いているのにも関わらず、僕ができる仕事と他の社員の人ができることに大きな差があったからです。

「自分は出来ることが少なすぎる。」

働きながらそう思うようになりました。

そしてある日「このままでは、この差埋まらない!」と考えた僕は、ちょうど会社を起こそうとしていた友達に誘われ、インターンを辞めました。

しかし今度は彼と上手くいかず、すぐに解散してしまい僕はインターンを抜けたのに、何もやることがなくなってしまいました。

 

そんな時Twitterでたまたま見つけた田舎フリーランス養成講座を、2018年8月に興味本位で受講。

そこには、個人で仕事を取って、会社に頼ることなく、お金を稼いで生きている人たちが実際にたくさんいました。

自分自身でも仕事をしてみて、フリーランスとして生きてみたい!と思うようになりました。

その後大学生をしながらWebライターとして活動、現在はフリーランスとして仕事をしています。

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そして現在

現在は、新卒でフリーランスとして、田舎フリーランス養成講座を受けた場所でもある千葉県富津市金谷のコーワーキングコミュニティまるもを拠点に仕事をしています。

今後はWebライティングだけではなく、Webサイト制作にもチャレンジしていきマルチに活躍できるWebフリーランスとして活動していく予定です。

長くなってしまいましたが、これが僕の現在までのプロフィールです!

ここまで読んで頂きありがとうございました!

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